私は20代前半で上京するまで、「沖縄から出たい」と思いながらも、一歩を踏み出せずにいました。
でも、思い切って沖縄を離れたことで、初めて“自分らしく生きる”という感覚をつかめた気がします。
もし今、「沖縄から出たい」「このままでは苦しい」と感じている方がいたら、勇気を出して一度、県外に出てみてほしい。そんな思いで綴っています。
同じように「沖縄から出たい」と悩む誰かが、少しでも前を向けるきっかけになれたら嬉しいです。
一度は地元へUターンした私
私は一度、沖縄県内の進学で実家を離れたものの、さまざまな事情がありUターン。再び地元で暮らすことになり、約2年を実家で過ごしました。
やっと抜け出したはずの土地に、不本意ながら戻らざるを得なかった現実。
情けなさと悔しさが入り混じる中で、「やっぱり沖縄を離れるべきだったのでは」と思う日が増えていきました。
この土地で本当に人生を終えてしまっていいのかと、自問する日々が続いていました。
沖縄から出たいと思った理由は“収入格差”
私の地元と、実家のことを振り返ります。
働く場所がない村
上京して数年が経った頃、何気なく目にした「市町村別の平均年収ランキング」。
そこで目に飛び込んできたのは、私の地元の村が“全国ワーストワン”という事実でした。
全国に1,700以上ある自治体の中で、たとえ一度でも最下位を記録するというのは、かなり衝撃的なことだと思います。
まさか自分が育った村が最下位だなんて。画面の数字を見つめながら、胸の奥がざわついたのを覚えています。
すぐに兄弟にその記事を送り、「寒気がした」という返信が返ってきたのを覚えています。
今になって思えば、経済的に大変な状況だった同級生の家庭もあったのかもしれません。
でも、当時の私はそうした現実にまったく気づけていませんでした。
家庭環境は比較的恵まれていた
正直に言えば、私の家庭環境は世間的に見て恵まれていたと思います。
両親は安定した仕事に就いており、生活に困ることはありませんでした。
習い事や進学にも協力的で、教育にはしっかりお金をかけてくれていました。
それでも、子どもの頃の私は、他の家庭と比べてあまりにも「子どもの世界」に踏み込んでくる親の姿勢に、強い違和感や反発を感じていました。
もう少し放っておいてほしい。そう思うことが何度もありました。
今振り返ると、そうした“近すぎる関係性”も、沖縄を出たいと思うようになった理由の一つだったのかもしれません。
親にとっては美化された思い出なのかもしれませんが、子ども側から見ると必ずしもそうではなかった。
とはいえ、あの頃の親も仕事と家事に追われながら、精一杯の愛情で関わってくれていたのだと、今では理解できるようになりました。
だからこそ、今は感謝の気持ちもちゃんと持てています。
人間関係に問題があったわけではない
人付き合いに関しても、特に大きな問題があったわけではありません。
私自身、人とのコミュニケーションにはそれなりに自信があり、友達がいなかったわけでもありません。
今でも、声をかければ集まってくれる友人たちがいます。
それでも、ここじゃないどこかに自分の居場所があるんじゃないか。
そんな感覚をずっと抱えながら生きてきた気がします。
その“どこか”という言葉の中には、無意識に沖縄を離れたいという気持ちがあったのだと思います。
人間関係が悪かったわけではないのに、心がいつも少し窮屈だったのは、そのせいかもしれません。
持ち出したのは、キャリーケースとパソコンだけ。
キャリーケースひとつに、これまでの人生を詰め込みました。
海外旅行にも使えそうな特大サイズのそれが、当時の私にとって“自由への切符”のように見えたのを覚えています。
後になって当時のことを親と振り返ったとき、「親としてはいろいろ思うところはあったけれど、それも人生の一部」と受け止めてくれたようで、反対されることはありませんでした。
家族の理解があったからこそ、私は思い切って沖縄を離れる決断ができたのだと思います。
お金も家もなかった私は、しばらく友人宅で暮らした
褒められる話ではありませんが、最初の数ヶ月は友人の家にお世話になりました。
お金も住む場所もなかった私にとって、本当にありがたい存在でした。
その後、3〜4ヶ月ほどで一人暮らしをスタート。
生活費を稼ぐためにアルバイトをしていましたが、「これでは沖縄にいた頃と変わらない」と思い、正社員の仕事を探すことに決めました。
沖縄を出たいと思った理由の一つが、「努力しても生活が変わらない現実」だったので、どうしても抜け出したかったのです。
初めての正社員面接で採用
アルバイトの面接はいくつか受けていましたが、社員としてちゃんと働こうと決めて受けた面接で、なんと一発採用。
とはいえ、仕事はとてもハードで、結果的に1年半で退職しました。たくさん泣いて、ストレスで体重も落ちて…。
辛いことも多かったけれど、刺激に満ちた毎日は、今では大切な思い出です。
退職後、新たな仕事を探し始め、再び面接へ。
これもまた一発で採用され、以来、同じ職場で10年以上勤めています。
正直、東京には職種を選ばなければ本当にたくさんの仕事があります。
沖縄を出た理由を改めて振り返ると、「選択肢が少ない」という現実が一番大きかったのだと感じます。
沖縄で生まれ育った私が感じていた「沖縄の嫌なところ」
私が沖縄を出たいと思っていた理由を、改めて整理してみました。
沖縄で感じた収入の課題
私が那覇でアルバイトをしていたのは20年近く前。当時の最低賃金は600円台前半でした。
「まあ、こんなものかな」と思っていたけれど、今振り返ると、それ自体が問題だったのかもしれません。
数年前に帰省したとき、友人から「正社員でも手取りが15万円に届かない。でも周りと比べればマシな方」と聞いて、背筋がひやりとしました。
努力しても報われにくい現実が、私を沖縄から出たいと思わせたのだと思います。
時間にルーズな文化が苦手だった
「うちなータイム」という言葉の響きは穏やかですが、実際には“時間にルーズであること”を正当化しているようにも感じていました。
仕事でもプライベートでも遅れるのが当たり前で、むしろ時間を守る人のほうが浮いてしまうこともありました。
そうした文化が、私の性格には合わなかったのだと思います。
沖縄を離れた今でも、時間を守ることの快適さを痛感しています。
小さな島にある閉塞感
沖縄という土地柄、どこへ行っても誰かと繋がってしまう。
それが安心感につながることもありますが、ときには息苦しさを感じる原因にもなります。
全く別のコミュニティで出会った人が、実は友達の親戚だったり、親の友人の子どもだったり…。
そんなことが本当によくありました。
人との距離が近いからこそ、周囲の目を気にせずに生きることが難しい。
沖縄を離れた今だからこそ分かるのですが、この“狭さ”が心をすり減らすこともあるのです。
どこに行っても誰かに見られているような気がして、ほんの少しの自由さえも奪われるような不安がありました。
そうした小さな積み重ねが、「この島を出たい」と思う気持ちを少しずつ強くしていきました。
上京して得た安心と自由
私は何も決めず、勢いで上京しました。
あれから年月が流れましたが、視界が開けたような快適さがあり、今も「間違っていなかった」と心から思っています。
沖縄から離れたいという気持ちは、単なる現実逃避ではありませんでした。
「もっと自分らしく生きたい」「世界を広げたい」という願いが、その根底にあったのだと思います。
経済的な自立
単純に言えば、都会は沖縄よりも賃金が高いです。同じ時間働いても、得られる対価がまったく違います。
都会が特別というよりも、沖縄の賃金があまりにも低すぎる。
その格差が、若い世代の「沖縄を出たい」という気持ちを後押ししているように感じます。
中南部など、比較的人口の多い地域であればまだ選択肢はありますが、地方の小さな町や村では、職種自体が限られてしまいます。
その結果、経済的に自立することが難しくなり、心まで疲弊していく。
私自身、その構造を肌で感じながら生きてきました。
もちろん、県外での仕事にも辛いことはたくさんありました。
田舎者だと笑われたこともありますし、自分の教養のなさに落ち込んだ日もあります。
それでも、勇気を出して沖縄を離れることで、初めて社会の中での自分の立ち位置を見つめ直すことができました。
「ここで生きていく」と覚悟を決めたからこそ、今の私があるのだと思います。
時間が守られる快適さ
私の経験では、都会では時間がより厳密に守られています。
そのたった一つの違いが、こんなにも心を軽くして、生活を快適にしてくれるのだと、驚いたものです。
最近では、「沖縄はもう海外と思えばいいのかも」と冗談まじりに話すこともあります。
時間にルーズな文化は、理解はできるけれど、やはり自分には合わない。
沖縄を出てから初めて、時間を守ることの気持ちよさや、相手を思いやることの大切さを強く感じるようになりました。
他人と程よい距離感を保てる都会の気楽さ
誰も自分を知らない土地では、「自分が何者か」を問われることもなく、ただ静かに日々を過ごすことができます。
人が多い分、ひとりでできることも多く、「おひとりさま」も当たり前。
カフェも映画も、誰かと一緒じゃなくて大丈夫。
沖縄を出た理由を改めて考えると、「他人と程よい距離感で生きられる自由」を求めていたのかもしれません。
どんな人と出会うかは自分次第。そして、自分が横道にそれそうになったとき、自ら気づいて立ち止まれることが大切だと感じます。
そうやって少しずつ、自分らしく生きられる環境をつくっていけるようになりました。
環境を変えることで、人生が動き出した
私の経験から言えば、現状を変えたいと思ったとき、一番手っ取り早い方法は「住む場所を変えること」でした。
地元に置いていかなければならないものも多くあります。
物質的なものだけでなく、人間関係や思い出など、簡単に手放せないものも含まれます。
それでも、新しい土地で得たもののほうが、結果的に大きかったと実感しています。
もし今、沖縄での暮らしに息苦しさを感じているのなら、勇気を出して一度、県外に出てみてほしい。
その一歩が、あなたの人生を静かに変えていくかもしれません。
沖縄を出た私は、仕事の選択肢が広がり、年齢を重ねるごとに人間関係も自分の意思で取捨選択できるようになりました。
あの頃感じていた閉塞感や息苦しさは、今では遠い記憶です。
時間はかかりましたが、今では故郷・沖縄を愛しく感じられるようになりました。
まとめ:今日が、人生を変える最初の日かもしれません
「沖縄、いいところだよね」と言ってくれる人がたくさんいます。
以前の私なら素直に受け取れなかった言葉ですが、今は心から「そうだよ、いいところだよ」と笑って返せます。
生まれ育った土地を離れるのは怖かったけれど、それでも行ってよかった。
沖縄を出たことを後悔した日は、一度もありません。
飛行機の上から沖縄の島影を見下ろすたびに、「あんなに小さな島で、あんなに悩んでいたんだな」と、少しだけ自分を笑いたくなります。
今日という日は、あなたの人生でいちばん若い日です。明日になれば、また一つ年を取ります。
もし「今の自分を変えたい」「沖縄での生活から抜け出したい」と思ったなら、その日が旅立ちの始まりです。
心のどこかで、ずっと息苦しさを抱えていたあの頃の私へ。これは、そんな私自身への手紙でもあります。
「沖縄から出たい」と検索した夜に、この文章が誰かの背中をそっと押せたら。
たった一歩でも、あなたの人生が動き出すきっかけになれたら嬉しいです。
そして最後に、一言だけ伝えたいのは、たとえ県外でうまくいかなかったとしても、いつでも迎え入れてくれる場所があるということ。
それが、故郷であり、沖縄という土地の持つ優しさであり、温かさなのだと思います。
