私たち夫婦には子どもがいませんが、義母と同居しています。
同居を始めた当時は、ちょうど私の仕事が忙しく、精神的にも肉体的にも休まる場所がない日々が続きました。今でも「あの頃はつらかったな」と思い出すことがあります。
この記事では、そのつらい時期をどのような心持ちで乗り越えたかを振り返ります。
今、人間関係で「ちょっと心に余裕がないかも」と感じている方の、何かのヒントになれば嬉しいです。
「同居もあるかも」と覚悟して結婚した
正直に言えば、義母に初めて会ったとき、「この人は最後まで一人で生きていけないだろうな」と、直感的に感じました。
おそらく将来的には、同居か、あるいは何らかの金銭的支援が必要になる…そんな予感もありました。
夫とふたりだけで暮らせたのは、実質わずか2年ほど。
予想はしていたものの、想像よりも早く「その時」が来てしまい、心の整理が追いつかなかったのも事実です。
なぜ“嫌なところ”ばかり気になるのか?
時間を共有したいと思える相手でなければ、同じ空気を吸っているだけでも辛く感じてしまうことがあります。
「理由はよくわからないけれど、なんとなく受け入れがたい」そんな感情に襲われることもあります。
人間も動物ですから、本能的にそう感じてしまうことがあっても不思議ではありません。
話が合わない、行動が理解できない、価値観が根本的に違う…言葉は少し強くなりますが、「容姿がどうしても生理的に受け付けない」と感じてしまうこともあるかもしれません。
私自身、その感情に明確な理由を求めるのは、もうやめようと感じるようになりました。
学生時代のように、強制的に同じ箱の中に入れられる環境とは違って、社会に出てある程度年齢を重ねると、「誰と一緒に過ごすか」を選ぶ自由が増えていきます。
気の合わない人からは、そっと離れる。付かず離れずの距離を取る。
そんなふうに人との距離感を見極めていくのも、生きていく上で大切ではないでしょうか。
気づけば、思考の大半が“そのこと”に支配されている
とは言え、大人になっても、職場や家族など、そう簡単には離れられない関係もありますよね。
そのような場合は、物理的に距離を置いたり、連絡を絶てれば、どれほど楽かと思います。
個人的見解では、「嫌い」と感じることに、罪悪感を持つ必要はないと思っています。
ただ、その感情をずっと見つめ続けるのは、とても「しんどい」ことです。
たとえば、壁の薄いアパートに住んでいたとして。隣に引っ越してきた人が、たまに大音量で音楽を流す。決して毎日ではない。
けれど、ひとつ気になり始めると、それまで気にも留めなかった「生活音」さえ耳についてくる。
嫌なところに意識が向くたび、ますますその人のことが嫌いになっていく。でも、直接文句を言うわけにもいかない。
伝え方も難しい。苦しい。つらい。
気がつけば、起きている時間のほとんどが“そのこと”に支配されている。どんどん、自分自身の心がすり減っていく。
そんなある日、私がふと気づいたことは、「自分の大切な時間を、嫌な人のために使うなんて、勿体ないのでは?」ということです。
心を守る“見方の切り替え”という習慣
これは簡単なことではありません。むしろ訓練に近い。
でも、意識的に「相手の良いところ」に目を向けることは、自分自身の心を守ることにもつながります。
「好きなところ」を見つけるのは難しいかもしれません。だから私は、まず「事実」に目を向けるようにしています。
例えば、こんな“良いところ”を日々の中で拾っていくようにしています。
- 夫の洗濯物をしてくれる
- 共有スペースを掃除してくれる
- 食後の食器を洗ってくれる
- ペットの世話をしてくれるので、長期で外出できる
- 夫と2人で出かける時間を大切に思えるようになった
「良いところ=事実」と考えると、「これは助かっているな」「この人がいたからこそできたな」と、自然と一つひとつ積み重ねていくことができました。
そうすることで、少しずつ感謝の気持ちも湧いてきました。
嫌な部分に触れてしまっても、「まあ、そうは言っても助けられていることもあるし、仕方ないか」と、少しずつ許せるようになってきます。
もちろん、すぐにできることではありません。でも、それこそが“訓練”なのだと思います。
日々、納得いかないことや許せないことは誰にでもあります。でもそれらを抱え続けていると、結局は自分の心が苦しくなってしまいます。
自分の心を守るためにも、まずは小さな「良いところ」から探してみませんか?
まとめ:後悔はあっても、“今が最高”と思えるために
同居を決めたのは、夫に言われたからではなく、私から「同居してもいいよ。だって、それしか解決策がないでしょ?」と切り出したのがきっかけでした。
当然ながら、親や親戚には反対されました。それでも、これまでの経緯を聞いていると、どうしても義母の存在を突っぱねたり、見捨てることは私にはできませんでした。
正直、安直だったと泣いた夜も、一日や二日では済みません。
とはいえ、過ぎてしまった日々を悔やんでも、戻ってくることはありません。だからこそ私は、「今がいちばん最高」と思える人生を送ることを、自分の信条にしています。
もちろん、時には腹が立つ日もあると思いますが(笑)
自分の時間や思考を、自分のために使う。そのためにも、相手の良いところを見つける訓練を続け、嫌な部分と少しずつ相殺していく。
表と裏、天国と地獄。どんな物事にも、光と影があるのだと思います。
この記事を読んでくださったあなたにも、そして私自身にも。心穏やかな日々が訪れることを、心から願っています。